子どもたちは、生まれる前はみんな天使だった。
虹の橋をわたり、お母さんのお腹に宿るとき、天使の羽を神さまに返し、神さまからは、名前がプレゼントされる。
これは、シュタイナー教育で伝えられている子どもたちが誕生するまでの物語。
長女が四ヶ月の時、クーヨンという雑誌でシュタイナー教育を知り、わたしはその教育法に魅せられた。
シュタイナー幼稚園では、誕生日を迎える子どものために特別なセレモニーが、厳かに行われる。
そんな世界に憧れて、わが家も子ども達の誕生日には、シュタイナー園の真似事を取り入れていた。
誕生日ケーキに立てられたろうそくに1本1本火を灯しながら、その年齢での思い出を語る。
「1歳。歩けるようになりました。
毎日、土手や公園にお散歩に出かけたね」
「2歳、おしゃべりが上手になって、
おままごとを楽しんでいたね」
真っ暗な空間。
ろうそくの灯りに照らされる娘の顔。
そして、最後の1本に火を灯し、
「お誕生日おめでとう」とお祝いの言葉を送る。
娘がふーっとロウソクの火を吹き消し、部屋の中が真っ暗になる。
娘の成長に対する感慨とともに過ごす静かな時間。
わたしは、この時間が大好きだった。
しかし、ろうそくの灯りとともに語られる娘の物語は、7歳を機にピタリと止まってしまった。
「友達を呼んで、誕生日会をしたい!」
8歳の誕生日を前にして、娘が言った。
「ケーキもママが作ったのじゃなくて、買ったケーキがいい」
それまで毎年、手作りしていたケーキも、拒まれるときがやってきた。
そしてもう一つ。
毎年続いていたセレモニーが終わったのは、11歳の時。
クリスマスの朝のように、目が覚めると天使さんから贈られる誕生日のプレゼント。
自分が欲しいものではなく、天使さんが選んだものが届くスタイルに不満を抱きはじめたことから、11歳の誕生日を機に、わが家に天使さんが訪れることはなくなった。
13歳の誕生日には、ついに、誕生日を家で過ごさないようになった。
家族とではなく、友達と外で過ごす誕生日。
先日、娘は14歳の誕生日を迎えた、
お昼にケーキでお祝いしようと話していたのに、前日の夜から、わたしが体調を崩し
寝込んでしまった。
次女も朝から友達の家に出かけてしまい、娘が楽しみにしていた写真映えするサーティワンのアイスケーキを、彼女は、自分でお店に取りに行き、自分ひとりでデコっていたようだった。
大切な誕生日を家族できちんと祝うことができなかったことが、今も心に引っかかっている。
こんな風にだんだんと、子供たちの誕生日が特別な行事ではなく、日常に溶け込んでいってしまうのだろうか、と思うと寂しくなる。
今からでも遅くないかもしれない。
誕生日ケーキはないけれど、久しぶりに、1歳から13歳までの思い出を
バースデーカードにしたためてプレゼントしようかな。